1949-09-12 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第35号
從つて彼の見解からすれば、かつての日清戰爭や日露戰爭、また第一次世界大戰における日本の戰爭は、勝つた限りにおいては神の攝理において正しかつた。こんどの戰爭は負けた限りにおいて神の攝理から見て間違つている、こういう論法になる。從つて彼はカソリツク信者であるということで、ある場合には戰爭遂行に、ある場合には絶対平和思想に、どちらにでも向くことができる。
從つて彼の見解からすれば、かつての日清戰爭や日露戰爭、また第一次世界大戰における日本の戰爭は、勝つた限りにおいては神の攝理において正しかつた。こんどの戰爭は負けた限りにおいて神の攝理から見て間違つている、こういう論法になる。從つて彼はカソリツク信者であるということで、ある場合には戰爭遂行に、ある場合には絶対平和思想に、どちらにでも向くことができる。
廣島が軍都として、日清戰爭、日露戰爭から、廣島を通して軍隊が出動し、大きな犠牲を拂つて今日のような日本になつた。ここの土地に対して、この國会において平和法が通過いたしますれば、國際的に持たれるところの同情がやがてはこの平和を念願する日本國民に対するところの大きな力となつて、廣島市が建設されると私は考えるのであります。
○政府委員(菅谷重平君) 極くエレメンタルなことから申しますと、日本の鉄鋼業というものは、軍事的な要求によつて生まれて來たものでありまして、日清戰爭が済んでから八幡の製鉄所を作つた今の日鉄の前身になります。それからずつと暫くの間昭和七、八年頃まで、十年に二倍の割合で増加して参りました。昭和七、八年の頃に、ほぼ鋼材の需給がバランスしまして、それでまあやや鉄鋼國らしい形を整えました。
例えば第一回帝國議会の時に、議事堂が火事で燒けまして、帝國ホテルかどこかで議会を開いたことがございますし、第七回の帝國議会でありましたか、日清戰爭の際に廣島の大本営で帝國議会が召集それたことがございますが、そういつた場合にはその場合に明確にか或いは暗默に表示された議会としての区域が、ここに言う議院内部になると思われるわけであります。
今日のわが國は、敗戰とこれに伴う過重なる負担のために、都市といわず、農村といわず、重税に苦められておりまするが、これが打開の方策は、日清戰爭以前の領土となつたわが國の実情に適するごとく、政治行政の諸制度は人と物と経費とを極限までに縮減せられたものにならなければならないと信じておるものであります。しかるに行政機構は、從來の形骸を保存しようとしております。
そうしてその結果なかなか撤兵をしませんで、又その後に残つた國が原因で日清戰爭としてそういうことがあつたように記憶いたしますので、將來望ましいことでありませんが、若し万一日本の國内においてそういうことが起つたとしますと、非常に日本の國が困りますので、予めそういう順位を定めておいてくれることが大切だと存じます。
それをこれは欧米のようなすつきりした資本主義でなく、妥協封建的に色彩づけられているという姿で段々進んで行きまして、日清戰爭それから日露戰爭、第一次世界大戰、そういうふうに段々日本の資本主義は曲りなりにも発展して行きまして、そうして結局形は少しおかしいのでございますが、高度の何と申しますか、統制と申しますか、発展した段階に到達して、その結果としまして帝國主義戰爭を起した。
○木下榮君 天川の附近はほとんどはげ山に包まれました山村でありまして、旱魃、水害の惨状は昔から村民が非常に苦痛いたしておつたところでありますが、日清戰爭後砂防工事の實施によりまして一時非常によくなりましたが、このたびの大戰中より、過度の濫伐と、この地方特有の松食蟲の被害と相まつて林野の荒廢を來しまして、一雨ごとに洪水となりまして、天川の堤防が決壊いたしまして、田畑及び家屋の浸水が多く非常に被害をこうむつております
國民に強く耐乏生活を要求し、インフレの防止を説くも、政府みずからが苦難の先頭に立たないで、政府予算の大削減を断行する勇断を欠き、むしろ反対に物價引上の先鞭は、タバコ、鉄道等、官業事業によつて常に行われ、敗戰の今日、國土は日清戰爭以前の状態になつておるにもかかわらず、官廳機構はますます厖大しておる。